計画を立てすぎると計画に縛られて生きていくことになり自尊心が低下する

今日も徒然に文章を書く。

最近、日本語の響きみたいなものに感銘を受けつつある。これも年のせいか。

小生などと自分を称したくなる。これはただの中二病か。

フリーランスとして生活をする。あるいは、そのような生活スタイルを目指している身故、起床時間も就寝時間も、自由に設定できる身なのであるが、そのような生活を行っていると何となく「朝型生活」というものに憧れる。

実際に何度か「朝四時起き」というものにチャレンジしたことがあるが、これがなかなか身体の調子が良く、確かに物事の生産性が上がるような気がする。

今日のタスクを決めて、その通りに実践し、充実感に包まれながら夜を迎えるということも可能だ。

しかし、果たしてそれが本当に自分自身にとって良いものなのかは疑問が残る。

朝型生活を送っている人は”何となく”立派であるような気がする。

何故なら、我々現代人には「朝=辛いもの」というバイアスがかかっており、その辛い朝を有効活用している人は人生が有意義なものであるに違いないと思ってしまうからだ。

しかし、朝型人間からすれば逆に夜に起きていられるというのはすごいことという視点にもなりえないだろうか。

つまり、朝型だから凄いとか、夜型だからだらしがないとか、そういった一辺倒な価値観を持ちすぎてしまうのは自尊感情を逆に傷つけることになり危険なのではないだろうか。

私自身も(本当は自分を小生といいたい)、「朝四時に起きて今日の自分のタスクを意識して、それを完遂する」という目標を掲げていたこともあるが、はっきり言って無駄だと思う。

人間それぞれの適切なバイオリズムは違うし、誰かが言った「朝四時起きが最強」みたいな価値観は合う人が行えばいい。

逆にそこに無理を生じさせなければいけない人は、ストレスを自分にかけてしまうし、ストレスから逃げて失敗した自分を好きになれなくなってしまう可能性すらある。

それならいっそ、眠くなったら眠る自分を愛してあげればいいのではないだろうか。

そもそも、睡眠時間をたっぷりととらなければいけないと決めたのは誰なのだろう。動物において、昼行性のもののように夜にしっかりと眠るものもいれば、例えば猫みたいに昼だろうが夜だろうが好きな時に起きて、好きな時に寝る生き物もいる。

そうであるならば、別に人間も好きな時に起きて好きな時に寝る生活をしても良いのではないだろうか。

「規則正しい生活を送れば幸せになる」みたいな考え方は「規則正しい生活を送れていない人間は幸せではない」という価値観を生む危険性を孕んでいる。

無理をしない生き方を、一人でひっそりと送るのが一番気楽で楽しいものだと思う。

無計画こそが自尊心を守るのかもしれない。